震災直後の市長選。原元市長は、逃げたの? [郡山市議会で]
2~3日前に、20代前半の若者と話をした。
郡山生まれ郡山育ちなんだけど、卒業してからしばらく埼玉にいたので、選挙といってもどういう状況なのかよくわからないんです、って。
郡山生まれ郡山育ちなんだけど、卒業してからしばらく埼玉にいたので、選挙といってもどういう状況なのかよくわからないんです、って。
ただ、テレビを見ていても、議論と言いながら揚げ足をとったり文句を言うばかりで対策がなかったり、とても嫌な気分になる。と
震災の時に中3だったので、郡山での選挙は初めてなんです。
今は、市長は原さんじゃないんですよね?
と聞かれて、、、
いきなり当時の色々なことが一気に思い出され、堰を切ったように話してしまった。
私)
当時はみんな普通の精神状態じゃなかったから、
「市長はラジオで市民にメッセージくらい言ってくれたらいいのに」とかいう人も多かったよね。
不安はわかるけど、前代未聞の災害だし国や県との交渉や対策をやってくれているんだからそれで十分だと、私なんかは思っていたけど、そうじゃない人も多かったんだよね~
その後の市長選で結局 原市長は負けたんだけど、選挙の時に大きな看板がでてね、
「私は、逃げない!」
っていう。
3階建て位のビルの側面、目抜き通り、どんな人でも気づくだろう、というところに、
デッカデカとおっきく「私は、逃げない!」というメッセージがでたの。
”私「は」”?
「は」は区別の助詞。
誰が、逃げたの?
当時、原市長が逃げた、郡山から逃げた、という噂がまことしやかに流れた。
陣頭指揮をとっている市長が逃げるわけないでしょ!
と思うけど、当時は、この噂が市内を駆け巡っていた。
会う人会う人、この話題だった。
「原さんは、逃げた!」って。
それを裏付けると取られても仕方がないような
「私は、逃げない!」というキャッチコピーを、
いたるところで目にするようになったのね、市長選の時に。
それで(かどうかはわからないけど)原さんは負けたわけ。
青年)
え~~~~っ(@_@)
それはないでしょ。
僕、その時中3だったからわからなかったけど、それって、ないでしょ!
市長が逃げるわけないじゃん!
私)
まぁ、普通にそう思うよね。
でも、あの頃はみんな不安だったから。
だけど、あの戦い方はない、と私はすごく腹が立ったことを覚えてる。
震災後の選挙で、川前光徳さんは、郡山市議会議員になったわけなんだけど、
川前光徳市議は、郡山市議会でいい質問をしたのよ。
震災当時、原正夫市長がどのようなスケジュールで動いていたか、動静を市当局に尋ねたの。
その時、たまたま私は議会を傍聴しに行っていたんだけど、冷静で事実を詰める、という感じで、
いい質問だった。
原元市長、これで、どうやって逃げることができるの?
というくらい、びっちりと動静が埋まっていた。
絶え間なく陣頭指揮をとっていたことが、市当局の記録から明らかになったのね。
その時に、現市長も「原元市長は、逃げていません」という内容の答弁をされた。
ご自身の口から「原市長は逃げていない」とお答えになられたことは、とても大きいことだと思うよ。
原元市長の汚名が晴らされた。
これは、郡山市民にとっても、とても喜ばしいことだと思う。
なぁんて、話をしました。(#^.^#)
それ以降、
川前みつのり市議を見ていると、
まぁ、得にもならないこと、をよくもまぁ、一生懸命やるもんだ、と感心し、また、呆れもします。
そんな奴だからこそ、任せられるんだよね。
FB01/07/06
2019-07-08 11:43
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