日本青年会議所2006年郡山全国大会でのエピソード [筆者の雑感]
((o(^∇^)o))川前みつのり郡山市議の知られざるエピソード
もう干支が一周するくらい前の出来事になってしまいましたが、2006年(平成18年)に、郡山青年会議所という団体は全国大会を郡山で開催しました。商工会議所青年部ではなくいわゆるJCというやつです(^-^;
全国大会を開催するためには、結構大変な手順を踏まなければならないようで、一人二人の力でできるような生易しいものではないのですね。
この大会は大成功の裡に終わり、その後も郡山に学ぼうと他の地域のJCの方々が学びに来たなんていう話も耳にしました。
この郡山大会を成功させたいと頑張った一人が、川前光徳くんでした。中心人物といっても言い過ぎではないと思います。
詳しいことを正確に知らないままに言うのはどうかなぁ、、という思いもあるのですが、こういう馬鹿は街に一人は必要でしょ、という想いがあるので、ちょっとご紹介します。
全国大会って、ほんとに大変だから、やんなくていいよ、という意見もあったそうなんですが、川前さんのコツコツと、誰も責めず、だれにも要求せず、コツコツと、、、いろんな困難にとりくんでいる、そういう姿を目にして、メンバーたちの意識が一つに昇華されていった、そういう側面もあるのですね。「川前さんの後姿を見て、しっかりやんなきゃなぁ、、って思ったんだ。」そんなことを何人もの後輩が私にも言ってました。
郡山大会なんだから、郡山を打ち出す!と様々な団体や人々を巻き込み、何年もかけて(たぶん4年くらい)大会を作り上げていきました。郡山が「音楽都市 郡山」を標榜するようになったのは、JCの郡山大会がきっかけ。すごい動きだったんです。(と、私の眼には見えていました)
大会当日、式典の最後に川前さんは全国の卒業生代表として挨拶をしました。日本青年会議所 副会頭という役職を恐ろしいくらい実直に心を込めて果たしていた、そのご褒美だったのかもしれませんね。その挨拶を、会場の外のモニターや駐車場整理をしていたメンバー等、式場に入らず設営していたメンバー誰しもが、涙して聞いていた、そんな話を、私はいろんな人から聞きました。「泣きの川前」とか、「川前さんのスピーチに泣いた。」とか。
川前さんは、誰かに要求することはないと思う。
ただ、黙々とやるんです。
その後姿をみて、あとに続く人が出てくる。
その繰り返し。
郡山市議になってからもその姿勢は変わらない。
郡山をよくしたい、それだけ。
もくもく、と。
その姿に、いろんな人が感じる。
その繰り返し。
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※写真はネットから拾いました。
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